醜顔M男46歳 その2

作者 醜M男さん

 46歳の今ゆえに説明がきくものときかないものがあると思いますが、22歳当時の心境と状況を説明しておきます。

女性の相手にされない身分のくせにえりごのみをするアホがいます。例えば風俗はイヤとかスタイルがいい女でないとダメとか・・・

 自身の場合は23歳の時点で(確か8月の夏休み)に連日で「ヘルス」(JR目黒駅近辺の店舗をかまえていたファッションヘルス)と翌日吉原のソープランドへ出向きました。まず理由は当然女性とのキスもSEXもしたことがないための劣等感と焦りもありましたが経済的な理由と事情も含みます。大学4年次に1992年のバブル崩壊のあおりも含め自身の家の工場の倒産と母親の死去がありました。

 そのため4年の時点ではほとんど大学にいかずバイトで自活を始めていました。思春期以降は女性を含め劣等感の塊だったため人と接触が限りなく少ないバイトとしてメーカーの倉庫在庫の検品の仕事をはじめそのまま30になるまで約10年毎月の給料は手取りで150000程度で生計をたてていました。そのな未来図しかえがけない描かない自身の観測から当時ういていたお金を風俗店の支出にまわしました。たぶん生涯の記念のつもりだったのでしょう。


 しかしへルスの相手はスレンダーだったですがどうひいき目にみてもブスでファーストキスはまさに前の客の小便や糞やザーメンのマジった臭いの息の口とのものでした。フェラはされるも歯並びも悪いらしくイタいだけでした。「イクことはできませんでした」

 翌日のソープは高級店らしく(トータルで10万円ほどとられました)メイクのバッチリした一見いい女風の嬢とSEXをあいなりましたが・・・なんというべきか行きなれない高級レストランのマナーや空気感の飲み込まれて食欲が失せた貧乏人のごとく挿入が不成立という滑稽極まりない初体験でした。(爆笑)
後年今でいうハプバーの原型のような店であるS女性に上述の経験をはなしてところ自身の身分の低さを自覚できているゆえに「恐れ多くて美人とのSEXが不成立」だったと指摘を受け同時に風俗嬢についての論理として面白い指摘をされました。

 以前ブサ彦物語の作者様と数回ほど縁があってメールのやりとりをして経験があるのですが、その時点では気が付かなかったのですがカップル様を崇拝するのはいいにしても、なぜゆえにそのカップルに劣位をいだくのか???という視点でした。

 ブサ彦物語の作者様の場合も私同様に「足(裏)」フェチでその弱みという原因があるのですが、では誰のでもいいかという点においてなぜゆにそのカップルが崇拝対象かという点に論点がいくのです。

 私の場合相手が美男美女とか単独で美女とかいうことですがそうだとすると風俗嬢(ことさら近年の場合)のほうが下手な有名人の美人よりも上の容姿を持っている場合もあります。そうなると金を出せばいとも簡単に崇拝対象が得られてしまうという点に気が付いてしまいます。ところが前述のそのS女性曰く、要はヘルスやら売春婦やらソープ嬢の場合要するに金銭対価の代わりにSEX性行為における「奴隷の役割」をさせられてる点があげられるというのです。 
たとえ100歩譲ってもその女性の意思で奴隷的性サービスを自発的にそして相手を選んで行う場合は隷属とはいわないが何がしかのみかえりなどのために隷属的性サービスをするそしてその相手を選べないというのは便器としての役割だという意味になるという事です。なぜゆに便器とされるのか・・・それは「女性に相手にしてもらえない惨めな男性への隷属サービス」だからだそうです。

 ゆえに崇拝する美男美女カップルには風俗嬢は該当しないわけです。そして過去クラスのイケメン男子の靴下置き場という役割のデカイブサイクな顔面を持つ男のキスならびにSEXの相手にふさわしいのはそれこそ「無様で女に相手にされない男性から便器として扱われる女」が分相応でいかると男性(特に女に反吐をはかれる惨めな男性)の便器とSEXやキスをするのがお似合いだったという按配になるらしきS女性様は大笑いしてくださった記憶があります。

22才から30歳までの間は倉庫の在庫検品の仕事で低賃金で友人やら親戚などのつきあいもなくなり一人暮らしだったため妄想と想像は肥大していきます。
先述のヘルスやソープ以外には目黒のSMクラブやら五反田・上野のクラブに数回行きました。まず驚いたのは派手な化粧でいかにも女王様風の女性の多くは場合によってはフェラや全裸も下手すれば本番すらもお金次第という有様だったのが1990年代のそれらでした。又有名な女王様とやらの経営・運営するSMクラブはどうにも「勘違いカリスマ的なうさん臭さ」が腐敗臭のごとく感じられ関心すらいかなかったです。

 ともかく学生時代(正確に言えば中学時代)で恋愛カースト制度のイメージが停止していた私としてはあきらかに普段の生活では「口すらもきいていただけないであろうレベルの女性様」達がお金のために全裸になるという世界観に驚愕したものでした。ゆえに前述のごとく「もてない男相手の便所役になって美女」はいくら美女でも便器であるというテーゼを持ちだして幻想を価値をとどめおいた訳です。

さらにいえば10代後半から20代の一番射精ざかりの時期に女とまともにデートすらできないどころか会話すらまともできなかった経験実体験はカップル様への幻想や相思相愛の男女SEX(風俗や売春ではなく)に価値を置き続けることのできた要因だったいえます。

 付け加えると僕自身友人などはいなかったのですがたまさかに会うことのできたオタクの気色悪い友人も恋人やらとは縁がない惨めな奴だったことも若いそして素人の美男美女カップル様の価値を絶対視できた理由でしょう。希少性の高い対象他者という誤認誤解は今日まで続いています。

 とはいえそんな全てを満たす崇拝対象がいるはずがなく(仮にいたとしてももっとし津のマシな下僕・下男・使用人を選ぶはずで私は問題外である)ある側面だけを切り取りつぎはぎして強引に頭でこねくりまわして改ざん改編してでっち上げて妄想を組みあげてオナニーライフを送っていました。事項では20代の頃に遭遇して実体験実経験を例示してそれをいかに自身の妄想に変容させたかをぐだぐだ語ります。
その3へ
| Top | BBS | ブログ | Mail |