私的 美醜論・カップル論・SM論

作者 醜M男さん

まことに勝手な感じ方なのですが、自身の中においては美醜において自覚的(または他者からの指摘や批判など)に自身が醜い容姿であると判断しかつ美醜という身分制度=カップル・恋愛・SEXの世界観における最下層という認識を持つ段階で「M化傾向」となると考えています。

(むろん客観的には美のグループに該当する他者評価を信じ切れないという自称ブサイクも含め下人とくくります)要するに自身をブサイクと判定する起因は事実だけでなく自身が想定する美に自身が該当しないという思想を主観にしている奴らをしてブサイクとくくります。(例えるならば美人なのにミソカスにされている女子・イケメンなのに自覚がないためブサイクカスグループに滞留しているイケメン男子などの例です)

ともあれ自身がブサイクと自覚すれば自信などもてない思春期を迎えるため圧倒的に女子に対して劣等感を感じます。むろん告白など夢のまた夢でありひどい場合は自身がどこぞのクラスの美少女に恋心を抱いているなどと仲間内にブサイク達にしれた場合「身の丈をわきまえろ」などの揶揄されたりまたはスクールカースト上層の男子たちにボコられたりするケースもあるわけです。またややAV的ですが女子からも「身分の自覚がないブサイク男」と目をつけられたり又は好かれた美少女が泣いていやがったりまたは罵詈雑言をあびせたりという強烈なトラウマ体験をかかえる男性もいることでしょう。

さてさてアイドル歌手の女への一方的な恋心とはことなりリアクション(酷い仕打ち)を刻まれたブサイクな男子は道が分かれます。1つは「レイプ犯のごとくの思想」をベースにした強引な性衝動を抱え込むというやり方があります。

リベンジという形です、むろん相手が意思を持って自身を嫌いコケにしたのですからおのずからレイプ犯の思想は相手の女は精液便所に過ぎない生きた道具だという指針をコンセプトにするはずです。しかしながらレイプ犯はそう考えないとかつて中学時代にブサイクなお前にコクられて惨めだったという事を平気でいう女子をおもいだしてしまいみじめで中々オナニーをするまでに回復できなかった時期を未だに思いだしてインポになってしまうというガラスのハートの持 ち主でしょう・・・小心ゆえにレイプ犯となるのでしょう。2つ目は同性愛に走るパターンがありますがこれは相当に努力がいります。

しかしながら3つ目のブスやデブなどの外見フリークスの女に走るというやり方同様に工夫のあとがみられます。ただし対象があくまでも代用であり妥協と我慢の産物ゆえにそれでは納得がいかなくなるのではなでしょうか・

私はまずブスを登用しました。誰も見向きもしない女を女王様化させましたがいかんせん女王役にそのブス自身がなれてないため白ける訳です。ゆえに妄想の世界に20代の頃は閉塞的にこもり自己の世界観をまもったものでした。
さてブサイクがなぜ美少女に惨めな扱いをされるとトラウマになるかは簡単です。

受けいれてもらえなかったという不承認の惨めさだった訳です。思春期の頃のイメージとpしては、受けいれる象徴がマンコの中にチンコを受けいれてもらいそのチンコの所有者の性欲やザーメンを承認されることでしょう。

そうなると論を推していくとブサイクを惨めな気持ちに追い込んだのは美少女だけでなくその美少女とカップルとして中出しのSEXをしている承認されたイケメン男性への劣位に気が付くはずです

美醜=カップルへの劣位と同意語というのが私の思春期の頃の深層理解だったのです。当時は言語も思想もそしてそれらを統制する実体験もなかったために気が付かずに済んだのですがやっと近年明白になった次第です。
 初めてSMクラブに行ったのは20代でしたがいかんせん田舎の教習所に免許をとったマヌケがいきなり首都高速に乗るかの如くだったものです。(笑)
いうまでもなくそれまで周りにいた女とは同年代の素人の女で普通レベルの女どもでした。SMクラブでは化粧のケバイ一見美人風に取り繕っている女達でまたSEX慣れ恋愛慣れをしているのです。

同時に相手の男がブサイクだろうがなんだろうがお金になればなんでもござれな訳ですからクラスでろくに話もできずコンパでも一言もしゃべれない(女にたいしあがり劣等感と緊張しかない)男としては大いにおどろかされました。(余談ですが射精のあとのチンポの先をいじられる射精後の亀頭責めというセメがあるのですが実際SMクラブでやられましたが僕からしたら普段全く女に相手にされない惨めなチンポを楽しそうに美人女性様がいじってくださるという感激が強くて全然嫌ではなくありがたいと恐縮してしまった記憶がございます)

そんなSMクラブで働いている女のプライベートに該当する恋愛やらSEXなどの話はタブーでありまたその女達は口を揃てて「マンコでイクのではなく頭でイク女だから」というお決まりのフレーズや、当時からAVや本などでもS女は特別な女でSEXはしない。男の射精を受けいれる穴は持ってない。という演出を私は疑問を感じながら一応承服していました。

今おもえば自身が女神とか女王とかあがめて崇拝している女が他の男の精液便所としてザーメンやチンカスをなめとらされたりまたは自身が便器となってその女のウンコや小便を嬉々として受け入れているのにその女が他の男のウンコを食わされている便女だったとあらばショックな訳で一番都合のいいキャラとして「男とはSEXしない女神 という女」と「特殊な性欲たるM性癖のマゾ男」という世界をでっちげていた訳です。


形を変えた「純愛思想」といい按配でしょうか・・・・
まあともかくうさん臭さを感じつつもプロレスを真剣勝負だとして受け取ろうとしていた昭和の世代へのフェイクはどうにかこうにか成立せしめていました。

私の思想はまともなSEXが可能でないメンタルゆえに偏屈かつ自己中心的かつフリーキーかつ閉塞的自閉的もうそうてきな世界に性欲の発散をもとめたのがM男の試みだと決め付けています。人間の性生活はオナニーからスタートします。

ゆえに現実のSEXや対象他者を現実事実を無視してまたは想定しないで(または都合よく改ざんして)射精します。ゆえにどんな思想や他者でも射精できます。

ところが事実・現実・実感がともなうとその経験が妄想に歯止めをかけます。リアルというものがファンタジーを破壊していきます。(これまた余談ですがゆえに体力や機能ではなく老齢となるとリアルな経験がファンタジーの発展を破壊するためセンズリもまたは生身の女への関心も薄くなりのです)

私のファンタジーも一時期は粉砕されそうになっていました。私のリアルなエロは全て風俗なため恋愛弱者やSEX身分・スクールカーストの惨め環境などは一切不問化され又惨めな性欲発散対象(女の足の垢の臭いとか糞カスとか)もある種変態世界では容認されてしまっていた訳です。

しかもかつての学校のクラスメイトの女達よりも美人な女どもによって・・・・言い換えるとリアルな世界の方がファンタジーよりも環境的に恵まれていたという逆転現象がおこっていたのです。


しつこいですが私の思想は美醜の上下によってカップル・恋愛・SEXの世界にコミットできないカタワがまず惨めに自身の性欲のはけ口をマンコや美人への性的接触ではなく足の垢とかブーツとか汚れたパンツとか靴下とか尿とかウンコとで代用して思春期を過ごし、それであきたらなくなってお金を貢いでもその美女の傍で奴隷でも使用人でもいいからなんでもするからそして人生をささげるからすべて美人のいいなりになりますと71年前の日本のごとく無条件服従して土下座することから始まる訳です。むろん美人への隷属は美人の恋人の美男への服従と同意語です。


 本サイトのさまざまな投稿をみるにつけリアルな惨めさがファンタジーという妄想の惨めさに追いつきそして追い越そうという試みを感じるです。
もっともっとM男・M性癖を惨めに追いつめてもらいたいと思ってます。
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